結婚につながる恋のコンサルタント|山本 早織

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2021.6.09父が逝く…

本日、私の父が天国に旅立ちました。

 

この場を借りて、父のために様々な知恵や人脈を貸してくれた皆様

ありがとうございました。

 

実は2年近く大腸ガンからの肝臓癌で闘病をしており、

最近、抗がん剤治療ができないと医師から言われ、1ヶ月ほど緩和ケアで

自宅療養していました。

 

今日、仕事の合間に妹から電話があり、

「お父さんが息をしていない」という知らせを聞いて

すぐに車で実家の方へ行きました。

 

実家近くの病院へ行くように言われ、

救急車よりも早く私は病院へ。

 

救急車から出てくる父はかなり皮膚が黄色くなっていて、

心臓マッサージをされていたのですがもうこれは旅立ったのだなと

確信しました。

 

私は常日頃から、死についてよく考える方で、

結構ドライなのかもしれませんが、

死ぬということは、体というプログラミングされた借り物と魂が

離れることで、

魂からしたらきっとその体に用はなくなったから離れるのだ

と考えていました。

 

きっとそう考えた方が私にとって楽だったのかもしれません。

 

誰よりも身近なお父さんの死を前にして、

やっぱり、寂しい。という気持ち。

 

そして、あれだけ威厳のあった父が小さくなっている姿。

たまたま2日前にも実家に行っており、

その時に体の痛みと戦う父を見て

もう苦しんでほしくないと心から思ったこと。

 

様々な闘病生活での記憶が蘇りました。

 

先生から死を宣告された時、

「お父さんよかったね。もう痛いって苦しまなくていいよ」

って心のそこから思いました。

 

そして何よりも感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

お父さんは誰よりも「男として生きる」ということを

私たち三姉妹に見せてくれていたように感じます。

 

子供の頃の記憶といえば、怒鳴って怒っているお父さんが印象的で、

とにかく厳しく躾けられました。

 

本当は男の子が欲しかったお父さんは、

自分のやっていたボクシングのグローブを私たちにつけて

戦わせたり、水泳は1級になるまでやめたらダメ!っと

厳しい決まりなど、女の子を育てるように育てられた記憶はありません。

 

しかし、お父さんが癌で闘病し始めたとき、

入院しているお父さんを旦那さんと訪ねた時。

旦那さんに対してお父さんが

 

「俺は、娘3人を将来の旦那さんのために預かってるという意識で

育ててた。だから中学卒業するまではとにかく厳しく躾けをしたけど、

高校になってからは3人とも本人がする選択を見守るようにした。

それはいつか迎えにくる旦那のために預かってるという意識だったからだよ」

 

と話していました。

 

思い返せば、高校に入り、芸能界で仕事をしたいと行った時、まだ15歳の私が

仕事で何時になろうとも、理解をし待っていてくれました。

どんな彼氏を連れて行っても、その彼に対して、

まるで結婚相手かのようにウェルカムな姿勢で関わりを持ってくれました。

 

そんな父に私は彼氏を紹介するのが好きで、

「お父さんはやっぱり男の子が欲しかったんだな〜。いつか結婚する相手となる義理の息子を

早く作ってあげたいな」

と思うようになっていました。

 

私の結婚相手の条件は、中学の時から

「お父さんの次に私を愛してくれる人」というのが条件です。

 

お父さん以上に私たちを愛してくれる人はいないし、

それだけ大きな愛を受けて育ちました。

 

今、お父さんが亡くなって、感謝の気持ちしかありません。

私のお父さんという役割を担ってくれたこと、

私を娘として愛してくれたこと、

そして一人の女性として尊重してくれたこと、

男としての生き方、在り方を背中で見せてくれたこと。

 

心から感謝しています。

 

そして何よりも、病気になった父を見て、

私は、父の人生の成果は私たち3姉妹をまっすぐ育てあげたことだなぁ

と客観的に感じています。

 

お金や地位や名誉、仕事、そんなものは

死を目前にした時になんの意味もなく、

あるのは家族の愛だけでした。

 

この家族を作り上げた功績こそ、

お父さんの人生の成功だなぁと長女として誇りに思っています。

 

お父さんの人生に関われたこと、そして私の人生に関わってくれたことに

ありきたりだけど、ありがとうの言葉しか伝えられないです。

 

本当にありがとう。

 

最後に、

私もお父さんのような家族を作り、

死を迎えた時に、愛する息子や娘にありがとうを言われる人になります。

 text= Saori Yamamoto

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